死ぬのが怖いと何が得か|タナトフォビアで得したこと3つ

      
死ぬのが怖いと何が得か|タナトフォビアで得したこと3つ

死恐怖症(以下、タナトフォビア)歴 20年のわたしは、散々振り回されつつも、タナトフォビアだからこその『得』ってある、と密かに思いはじめています。
今回は、『タナトフォビアだから得られるもの』について書いていきます。この記事は決して、「タナトフォビアは得だ!みんななれ!」という意味ではなくて、死ぬのが怖くて塞ぎ込むことしかできないという人の参考になれば幸いなのです。

死ぬのが怖いってネガティブ?

『死恐怖症』って、完全にマイナスな状態だと思いますよね。
恐怖症であるせいで踏み切れないことや、恐怖症に思考を支配されて身動きが取れない状態は生きていく上で足かせになります。損得以前の問題です。
足かせになるのは、死ぬことへの恐怖心そのものはもちろん、恐怖心から無気力になったり、どうでもよくなったり、生活のことを考えられずに日常に支障が出てしまうことです。
タナトフォビアは『自分の死』に対する恐怖症です。『自分の死』は、自分が死ぬ時まで過去のものにはなりません。つまり、自分の死を経験して克服するのは生きているうちは不可能です。それじゃあ、死ぬ瞬間までタナトフォビアに苦しまなければならないということに…。

タナトフォビアの何がネガティブか

死ぬのが怖いって、人間であれば当然の感覚だと思います。
小動物も捕まりそうになれば命を守るために逃げます。彼らは死の恐怖を感じて逃げているのか、といえばそれは微妙ですが『自分の命を守る』というのは生き物の本能です。また、人間も同じように誰もが死を避けようとします。これは別に普通なんですよね。問題は、死が怖くて生活(生きること)がままならないという状態にある場合です。
死が怖いと考えること自体は健全。しかし、いつか迎える死が怖くて、今日の予定、来週の予定、半年後の自分のことがままならなくなってしまうと、それはせっかくの人生を棒にふる行為にも等しく、ネガティブであるといえます。

タナトフォビアで得していること3つ

何にでも二面性があるんだな、とタナトフォビアに得があると気づいてから改めて気づかされました。しかも皮肉にもこの特徴、自分の長所だな…!と密かに思っている『自分の好きなところ』だったりもして。検証できないので、タナトフォビアでなければ得られなかった!と言い切ることはできませんが、でもやっぱりタナトフォビアでなければ、自分には起こらない思考だとも思うのです。

1,「大切なもの」と「必要ないもの」の判断が余裕でできる

タナトフォビアであるわたしとって、最も大切なものは極めて明確です。
『自分が死なないこと』と『せめて死ぬまでの時間』です。その生きている時間をいかに後悔なく過ごすかということが、この世の何よりも大切です。
この基準があると、あらゆるものが自分にとって要か不要か一瞬で判断がつきます。怒られそうですが『いい感じ』か『やな感じ』かで、ほとんど判断します。
「あ、これ、精神の死だわ…!」
と思ったら、やらない。もしくは、すぐやめます。

さらに、タナトフォビアであるわたしにとって『せめて死ぬまでの時間』に代えられるものはありません。好きにデコります。外野がわたしの代わりに死んでくれるわけではないからです。

タナトフォビアになる前、10歳以下の頃の自分の性格というのは、なんでも人に聞いてから決める子供でした。間違っていないか、誰かが嫌がっていないか、いつも気になっていました。今よりもずっと協調性がありそうですが、正直向いていませんし、もしそのまま大人になっていたら…憶測ですが、心を病んでいたかもしれないなと思います。

2,映画や音楽、漫画など人生をテーマにした作品の沁み方が違う

恐怖症や不安症の治療で『暴露療法』というものがあります。これは、恐怖の対象に敢えて触れることで耐性をつけるというものです。例えばタナトフォビアであれば、人の死についての映画などを観まくって慣れる、など。
しかし、暴露療法をせずともタナトフォビアの人間は、日頃からじゅうぶん死に敏感なのです。人によりますが、鮮魚コーナーに行っただけでも死を身近に感じ、日が沈むだけでも「この日没をあと何回見られるだろうか…」とかって、頭の中で掛け算を始めるのです。


というわけで、感性を揺さぶらんとする狙いをもって作られた映画や音楽、漫画などには、それはもうとんでもないショックを受けます。作品の中で人が死ねば自分も完全に死んだような気になり、そこに至るまでの心情が丁寧に書かれている作品であれば、なおさらズシンときます。負のパワー?みたいなものにあてられてしまうこともよくありますが、五感をフルで使えているような気がして、これも得を感じています。

3,毎日をやたら大切に思える

タナトフォビアとは、常に死の恐怖につきまとわれながら生活することです。しかし、言い方を変えれば「自分の命はいつか必ず終わる」と常に心に留めておけるということです。持病もなく年齢も若いのに、命の終わりを意識しながら生活している人というのは、親が仙人か、本人がタナトフォビアでないとなかなかいないのではないでしょうか。自分の人生は『今』を主観で感じ続けることの積み重ねだともいえます。例えば「今の気持ちを絶対忘れない!」と思ったとしても『今』が過ぎれば、完全には覚えておけません。これって、なかなか切ない仕組みだと思います。しかしだからこそ『今』は貴重で尊いとも思います。
すると『今』の積み重ねである『生きている』も、わたしにとっては同じく尊いのです。

どう思うかは底なしに自由

『自分と未来は必ず変えられる』というキャッチコピー、どこ発祥かわかりませんが、一度は聞いたことがありますよね。非常に前向きな言葉なのですが、反対の意味でこそ腑に落ちるというか。他人と過去は決して変えられない、生きているとこっちを実感することのほうが多いと思うんです。
過去そのものは変えられませんが、過去を無駄で苦しい時間にするか、意味のある時間だったとするかは、これから先の行動で変えることができます。
例えば、タナトフォビアで苦しんできた過去の時間も、これから先の自分の行動次第で、もしかして有意義だったと思える日が来るかもしれません。