タナトフォビアになりやすい人の特徴3つを分析してみる

      
タナトフォビアになりやすい人の特徴3つを分析してみる

わたしは、世間話でタナトフォビア(死恐怖症)の話をすることはほとんどありません。
大体はネットや書籍で情報を得るのですが、先日「タナトフォビアになりやすい人の特徴は3つある」という精神科医の記事を見つけました。
かなりドライな分析で面白かったのと、その記事には特徴それぞれに詳細(裏付け)がなかったので、今回ひとつひとつ取り上げて考えていこうと思います。

今回、元となった記事をリンクさせたかったのですが、確認したところ削除されていました。
なんで消したんだろう・・面白かったよ・・

そのタナトフォビアになりやすい人の特徴3つというのが

  • 食うに困らないヒマ人
  • 過度の厭世思想(無神論者・唯物主義)
  • 思考実験マニア

あっ、なんか辛辣です。
当事者からすると辛辣に聞こえますが、タナトフォビアではない精神科の医師による冷静な分析です。ふむ、聞こう・・って感じです。何かヒントがあるかもしれないので、ひとつずつみていきます。

食うに困らないヒマ人

そう言われると申し訳なくなってきます。
しかし、確かに「いつか来る死の恐怖」の方が「日々の生活」よりも一大事というのは、ある意味恵まれた状態かもしれません。
日々の生活に問題がないから、死について考えてしまう。これは十分タナトフォビアの一因になり得ます。

わたしの場合、タナトフォビアの発作なるものが存在します。
普段はネットリと不安に感じている「死」ですが、この発作の状態だと動悸や吐き気があり、寝ても覚めても死につきまとわれている状態になってしまいます。
動機や吐き気は数時間でおさまりますが、寝ても覚めても死につきまとわれている状態はその後も数ヶ月続いたりします。こんな風にバランスを崩した時期のことを振り返って見ると、確かにこの頃は他の悩み事や妨げがありませんでした。
特に考えずとも、うまくいっている時に頭がヒマ過ぎて、引き起こされているような感じです。

もう少し自分の話をすると、最初の発作(この言い方が正しいのかは不明)は「自分も絶対死ぬことに初めて気付いた時」です。多分7、8歳・・小さい子供の頃です。

小学校にも慣れて、慣れた友達、20年前の田舎の小学校ですから勉強もさして忙しくありませんし、この頃は家庭環境も悩むほど問題はありませんでした。毎日楽しく生活していて、子供であることがとても面白かったです。

そんな風に、充実した生活を送っているのに、大きな避けられない変化(死)があることに初めて気づいてしまいました。それ以外の悩みは当時なかったので、そのまましばらくの間、心を「死」に支配されてしまったのでした。

誰も死ぬことを気にしていないように見えるのが怖い。

死は当然のことなので話題にすらしない、ということなのか。それにしても、誰も死への恐怖を公にしていないことが、小さい頃はとても怖かったです。タブー感が、より一層 怖さを引き立てていました。
思い切って周りの大人に聞いてみても、まあ濁す濁す。少なくともわたしの周りに「死んだらどうなるの?」「みんな怖くないの?」といった疑問に向き合ってくれる大人はいませんでした。
もし当時、誰もが不安を抱えていて、それでも生きているのだということを、恐怖が根付く前に身近な大人に教えてもらえていたら。もしかして軌道修正できて、タナトフォビアにならなかったかもしれないと思うことはあります。

その「初めてのタナトフォビア」の顛末はというと。
その後小学校で、運動オンチにもかかわらず、なぜか勢い余って陸上競技の課外活動に参加してしまったことで、それこそ毎日死ぬほどの練習を余儀なくされるうち、いつの間にか死の恐怖はすっかり頭から追放されていきました。忙しくすることで、うまく誤魔化せたのだと思います。あと、運動自体のリフレッシュ効果もかなりあったと思います。きっと子供だったので、すんなりと効いたのですね。

「食うに困らないヒマ人」は正解かも・・

2回目の大きなタナトフォビアは、高校1年の時に来ました。やはり高校生活もある程度落ち着き、環境に慣れて周りに人が増えてきたあたりで発作が起きました。楽しい毎日を過ごしていると急におぶさってくるのが、タナトフォビアです。
自分で手に入れた自分の居場所が気に入っていましたから、執着心が沸いてしまったことも一因だったと思います。対人関係には影響を出さないように努めていましたが、徐々に「恐怖症による身体的な影響」が現れはじめ、体重は最終的に6キロほど落ちてしまいました。
その2度目のタナトフォビアの顛末ですが、家賃未払いで家族3人で住んでいたアパートを立ち退かなければならない状態になってしまい、家出してひとりで生活しはじめたあたりで、すっかり頭からふっ飛んでしまいました。いつ来るかわからない死の恐怖よりも明日どうやって生きるかのほうが、よっぽど大事な問題でしたから。

実際に、食うに困った時期のことを思い出してみましたが、確かにそうかも・・・!

過度の厭世思想を持っている

厭世とは読んで字の通り、世の中をいやなもの、人生を価値のない無意味なものと思うことです。無神論者・唯物主義者も、とありますが、神様なんていない。見えるものしか存在を認めない、という感覚の人たちのことですね。
これらが、タナトフォビアになりやすい要因として考えられていることに驚きました。こういう人達こそ「いつどんな風に死んでも無意味」という感じで、生にも死にも興味がないのだと思っていたからです。
しかし、厭世思想が要因でタナトフォビアになっているのだとしたら・・なんか、いじらしくないですか。

厭世思想は、そもそも世の中への絶望から来ているというのはなんとなく感じます。そういう人たちは実際、本気で世の中を軽く見ているわけではない、と思います。人一倍、生死や世の中について考えて、結果的に絶望して、厭世思想へ・・という流れなのでは。その思考に至るまでのことを思うと、切ないですね。
日頃から「世の中に価値がない」「あらゆることに深い意味はない」と思っていたとします。いざ自分をその世の中に当てはめてみると、自分自身も無価値な存在なのか・・という思考の流れになってしまうのではないでしょうか。底なしの恐怖感が湧き上がってくると思います。なんの価値もないのに、意識があって、恐怖心があって、生まれてただ死んでいく・・これは恐ろしいことです。

厭世思想の場合、克服が楽しそう

無責任な言い方かもですが・・。そもそも自分が、厭世思想からかけ離れたところにいるので、楽しそうって思ってしまいます。この場合、世の中に絶望した状態からスタートということで。つまり、世の中捨てたもんじゃないな、と思える体験を積極的にしていくのが思考を変えることにつながるわけですよね。正直楽しそう。
しかし「世の中捨てたもんじゃないな」と思えるハードルが高いからこその厭世思想ですから、当事者にとってはそんなに簡単ではないのかもしれません。

わたしの場合「自分が大好きで生きるのが楽しくて仕方ないから絶対死にたくない型」タナトフォビアです。
物事に意味づけするのも大好きで、ちょっと嫌なことがあっても「まあおかげで経験できたな」などと、勝手に後から意味をつけて喜んでいるタイプです。なので、厭世思想からのタナトフォビアの人には「いやいや世の中すべてのことに多分意味があるし、やったことは行動次第で絶対マイナスにならないし、自分にしかできないことが山のようにあるから、毎日考えてそれやって楽しく生きた方がいいぞ!自分ってすごいことだぞ!」と、感情に訴えたくなってしまいます・・

厭世思想の人に伝えたいこと

「自分と未来は必ず変えられる」という言葉がありますが、広告っぽくてあまり響かない言葉でした。しかし、成人してから思い出してみて、振り返ってみれば確かにそうだな、と思いました。そして、反対を言えば「他人と過去は絶対に変えられない」と。
これまで、自分が変化した時に、驚くほど簡単に状況がひっくり返った経験はないでしょうか。過去を変えることは現実的には不可能ですが、過去を忌むべき恥ずかしいものにするか、必要な失敗だったと糧にするかは、自分のこれからの行動で180度変わります。

タナトフォビアである自分を、惨めで孤独な存在にするか、経験をバネにして何かを得るか。苦しんでいる時こそ分岐点で、これからの自分の行動に全ては託されていると思います。
わたしの周りに何人か、厭世思想×タナトフォビアに人がいるので、これも結構納得です。

思考実験マニア

ポイントは「マニア」というところですね。そもそも思考実験とは・・、実験器具を使って測定をするのではなく、理論的にこうなる、といった現象を思考だけを使って導き出すことです。シミュレーションとはまた別で、モデルを使わず、具体的な数や式も登場しない概念的なものです。有名なところでは、アインシュタインの特殊相対性理論も思考実験から導き出された理論です。物理学だけでなく数学、哲学の理論にも使われています。あとSF映画の設定にも、思考実験で導き出されそうな設定が使われたりしています。
物理も哲学も詳しく知らなくても、何となく考えてしまったことはないでしょうか・・?
例えば、自分のいないところでも本当に他の人は存在してるのかな・・生まれてから今までのことは全部夢で、目が覚めたら全く別の人間なのかも・・。宇宙の端っこってどうなってるんだろう、宇宙ってそもそも何・・今の自分の意識、これ何?なんで70億人も人間いてその中で、島国の小娘の意識がフューチャーされてんだ?!
ここまできて、死んだらどうなるんだろう!に繋がっちゃうんですね。天才であるアインシュタインがやったら思考実験ですが、わたしがやっても無知な状態で考え込んでいるだけなので危険です。
それはわかってるんですけど、仕方ないですよね。なにせマニアですから・・。

自分自身、思考実験マニアの自覚があるので、この指摘も納得です。

思考実験でタナトフォビアになった人

エリザベス・キューブラー・ロスという女性の精神科医が、死を研究していました。
「死の受容のプロセス」と呼ばれている「キューブラー=ロスモデル」というのを提唱した、タナトフォビア界隈では有名なお医者さんです。彼女は、死後の意識の継続や、輪廻転生に肯定的で「死の瞬間」などの著書のなかで、それらの研究について語ったりしていました。

ところが「キューブラー・ロスが、死の数ヶ月前に辿りついた死の結論が、あまりに恐ろしいものであったため、親族が口を噤んでしまい公表されていなかった」という情報が後から出てきます。その、死についての結論とは「死後の生はなく、死後の無もない」「人間は死ぬ瞬間の光景、感情、痛みを感じながら、そこで時間が停止する。時間が停止するので、意識を失うことはない」「無にもならない。死ぬ瞬間のその苦しみを永久に感じ続ける」
急にどうした?って感じですよね。そもそも非公表の言葉であれば、一体どこから漏れたんだ?という点でも創作っぽい感じがするのですが・・。
しかし、キューブラー・ロスはこの結論に辿りついて以来、気が狂ったように叫び、その瞬間が来るのを恐れ続けたと言われています。もし、これが事実であれば、彼女は長年の思考実験によってタナトフォビアになってしまったと言えるのではないでしょうか。

他人の思考を取り入れる

みていきましたが、概ね合ってんな・・という感じでしたね。
死の問題には正答がなく、基本的には自分の思考を頼りにするしかありません。ですが、あまりに自分の思考に偏りすぎると、糸口が見えず、心が壊れかねません。そうならないために、他人の思考を程よく取り入れるのはおすすめです。
自分一人で思いつめていると、単なる「悩み」ですが、他人の思考を取り入れると途端にそれは「研究・学び」に昇華されます。

さらに、思い詰めているのが自分だけではないという、孤独感の解消にも繋がります。
タナトフォビアである人と、そうでない人の違いはどこにあるのか、これはとても興味深いテーマなので、なにか追加で情報があればまた書きます。