不老不死は まもなく実現可能?怖い?理想?

      
不老不死は まもなく実現可能?怖い?理想?

シュッ!おすです(^^)

ここ数年、科学の進歩が著しく何か発見があるたびに「これを応用すれば不老不死も夢ではない」なんてワードを目にすることが増えました。

死が怖かったり、死に興味がある人がこの記事を読んでいる・・と思いますが、不老不死って憧れますか?

わたしは不老不死にはあまり興味がないです。
タナトフォビア(死恐怖症)なら不老不死を切望しているものと思われがちなのですが、実はそうじゃないんですね・・

あくまでも「死の意味や真相がわからないまま死ぬ」何もわからないまま死ぬのが怖いのであって、もし納得できる理由を知ることができたら、意識の消滅も受け入れられるかもしれないと思っています。これについては後ほど詳しく(^^)

いやいや、不老不死なんてオカルトでしょ?という声も聞こえてきそうですが、昨今の科学技術の進歩は 不老不死をオカルトに止めないほど飛躍的。不老不死の温泉、なんて昔からありますが、もっともっと現実的になりつつあるのです。

もしかして私たちが生きている間に、不死か必死(必ず死ぬ)かを選択できるようになるかもしれません。
そうなった時にわたしたちはなにを考え、なにを選択すべきなのでしょうか。

不老不死は悪なのか

「不老不死を求めるのは愚か」という戒めは、世界各地に寓話などとして残されています。
生命の輪から外れる行為を傲慢だと解釈したり、なんていうか、考えなしの行為であると見なされる場合が多々あります。

例えば、悪者が不老不死の妙薬のために、たくさんの人を巻き込んで・・という感じで、多くの物語で不老不死はワガママな希望として扱われます。あとは地位も名誉も手に入れた権力者が最終的に欲する、というイメージではないでしょうか。

実際に秦の始皇帝は、不老不死の薬という無理難題を部下に求めました。彼らが試行錯誤して作り出した 辰砂(しんしゃ)陶芸の釉薬に使われる金属。水銀と一緒、猛毒でできた薬を常用して死ぬ、というおとぎ話のような歴史が存在します。

他の生き物に比べ、必要以上に知恵を持った人間の身の程知らずな願望。自然の摂理を無視した奢り、こういう意見が結構多いんじゃないかと思います。

不老不死の概念はいつ生まれたか

実際に文献として残されているものでは、古代メソポタミア文明の文学作品「ギルガメシュ叙事詩」が世界最古であると言われています。
ギルガメシュという半神の王様が主人公の物語で、紀元前2000年前に書かれたとされています。もちろん古代ですから、バリバリ粘土板に記されています。

ちょっとエッチな現世から、死後の世界が舞台の章もあり、古代メソポタミア人の死生観ががっつり反映されています。和訳の小説も出ているので、気になる方は読んでみるといいかもです。

日本の文学で不老不死の概念が初めて組み込まれたのは、竹取物語です。
竹取物語は日本最古の物語とされていて、しかも作者不明、ところどころSF的な展開もあり現代でもさまざまな考察がされています。この物語の最後に、不老不死の秘薬が登場するんです、が・・

実は、日本最古の歴史書である古事記にも不死の木の実の描写があり・・いつ不老不死の概念が生まれたか、という問いに明確な答えはないというのがホントのところなのかなという感じです。

たぶん「発祥」というよりか、人間が死を理解した瞬間にセットでできた概念だと思います。
仲間が死んで冷たくなって、自分もいつか・・と気づいた瞬間に、死ななくて良いことにならないかな・・と。下手すれば、言葉を操るようになるよりもっと前からの根深い夢なのでは。

死が自然なことというのなら、不死を望むのも自然なことかもしれません。

不老不死の前に まず死後について誰か解明してくれ

善悪のジャッジの前に、まず不老不死になった場合の「先のこと」を考える必要があると思います。不死ですから「先」に終わりはありません。例えば地球がなくなったらどうなるの?自然の摂理から外れて大丈夫なの?みたいな。よっしゃー!と安易に飛びついてはいけない気がするのですが、どう思いますか?

細胞に置き換えて考える

地球という星をひとつの生き物として、人間などの生き物は「寄生虫」「細胞」に見立てられることがありますよね。
動物や植物の死を元に土壌が育つ、その土壌の恩恵で動植物が育つ、というサイクルがあります。

人間の身体も同じで、古い細胞は死んで新しい細胞が生まれることで成り立っています。
アポトーシスといって、細胞がもともと持つ死のタイミングによって「整然と死ぬ」現象です。これが起こらないと生物は健康な状態を保てないのです。

いきなり体内の細胞が「僕たち不老不死の技術を開発したので明日から死にませーん!」と言い出したら、かなり困りますよね。つまり死には必要な意味があるということで、人間の死も例外ではないのでは?という疑問をわたしは持っています。

もし循環の輪から外れることで、何かしらのリスクがあるとしたら・・それを知らずに人間が不老不死を選択すると、取り返しのつかないことになりはしないだろうか、という不安があります。
まず「死」の全貌が明らかになった上で、改めて考えたいものです。

しかし、どちらが先に発展するかといえばやはり死よりも寿命の延長や不老の研究なんじゃないかな・・と感じますが、どう思いますか?

リアル5億年ボタンになりはしないか

「5億年ボタン」と呼ばれるCG漫画があります。
知らない方のために NEVERまとめ貼っておきます [ 閲覧注意 ] 世にも怖い漫画『5億年ボタン』

5億年間、静寂と孤独に耐える心理描写が衝撃的で、設定も斬新で話題になりました。
不老不死って、この5億年ボタンの精神状態に近いことになるんじゃないかと感じます。

例えば、子供時代の時間のスピードって、かなりゆっくり感じたんじゃないでしょうか。
わたしは小学校の6年間が、ずっと続くような気がしたのを覚えています。
これは日々新しいことを経験すると、時間を長く感じるという感覚の仕組みがそうさせています。
では、もし不老不死になった場合、物事に新鮮味がどんどんなくなっていって、今と同じ精神状態ではなくなるのではないかと想像できます。

どういう状態を「生きている」と指すのか。
新しい発見や体験を重ねて、人らしく不老不死になれるのならハッピーですが、漠然と意識を保つ状態で不老不死・・ということなら、それは理想からかけ離れた状態じゃないでしょうか。

不老不死を求める物語は数多くありますが、不老不死を「永遠の生の苦しみ」と解釈し、罰として与える物語も世界中に存在します。

不老不死になりたいか?
う〜ん・・どういう状態で不老不死かによる・・それやっちゃって大丈夫なのかも ちゃんと知りたい、って感じです。

不老不死研究

先にちょっと書きましたが、どういう状態で不老不死か・・
もしかして可能かもよ?!と言われている方法にも、色々とパターンがあります。
不老不死っていう言葉は昔からありますが、実際に研究が進められて、生の定義について今一度考え直さなければならない段階に わたしたちはいます。

ヘイフリック限界を超える研究

「ヘイフリック限界」とは、細胞が分裂できる回数の上限のことです。ヒト体細胞の分裂回数は決められていて、限界まで分裂すると細胞分裂は止まり、老化が始まります。すると代謝が遅い臓器や、替えが効かない臓器(心臓や脳)は停止して寿命を迎え、死に至るというわけです。
ちなみにヘイフリック限界から算出した人間の最大寿命は120年と言われています。

それ以上はちょっと細胞がムリ、というわけですが、じゃあヘイフリック限界を延ばそうぜ!という研究がされていて、iPS細胞やゲノム編集など、細胞を弄って脳や心臓を死なせないようにすることで不老不死を叶えようというパターンです。
肉体をフレッシュにキープして、死なないようにしよう!という感じですね。

人体冷凍保存

コールドスリープみたいな感じですね。SF映画などでよく登場します。
クライオニクスという専門用語で知られていて、死後に遺体を冷凍保存しておくという技術です。
ただ現代の技術では、人体を冷凍すると水分が膨張し、細胞膜を壊してしまうのだそうで・・普通に解凍しても形は保たれないんですね。根菜を冷凍するとかなり食感が悪くなりますが、そんな感じでしょうね。
将来的に細胞膜を修復する技術が開発されしだい、解凍して蘇生させる、というプランのようです。そして未来の医療技術で持病を完治させてさらに生きる、と。

日本には冷凍保存庫がないのですが、アメリカやロシアには冷凍遺体の保管庫があり、日本トランスライフ協会が遺体を空輸する事業をしているとか。
冷凍保存の費用は推定500万円、間に企業が入れば手数料や空輸の費用でもう少し金額がかかりそうですね。

わたしが子供の頃、父親が「俺が死んだら冷凍保存してくれ」などと言っていたのですが、その時彼は無職だったので、こいつは本当に何を言っているんだ、と思ったのを鮮明に覚えてます。
それが20年近く前のことです。かなり昔から人体の冷凍保存の実例はあるのですが、80年代以前の冷凍遺体は技術的に蘇生が厳しいと言われていたりするようです。

これも肉体を保って生き続ける、という不老不死のパターンですね。不老、とはちょっと違いますが死には抗っていますね。

脳とコンピューターの融合

トランスヒューマニズム、とかって最近聞くようになりましたが、新しい科学技術などをフルに使って人間を人間以上の生き物にしようとする研究やそれを支持する人のことで、先ほどの人体の冷凍保存もこれに当てはまります。
中でも脳とコンピューターを接続したり、記憶をデータ化したりする研究は、もし実用可能になれば肉体がなくても永遠に生きられることになります。

「ホルマリン漬けの脳」みたいな状態で意識を持ち続けることができるようになるかもしれないんですね・・
あとはサーバー上に意識を移す「トランセンデンス」という映画がありますが、これ系を本気で研究している人達が世界にはいるわけです。デジタル・イモータリティと言って人格のデジタル化への試みのことですが、これにデータ化した記憶をプラスすれば、それってもう立派な人間の意識ですよね・・

求める状態を自分で決めること=生きる

書いてて気づいたことですが、死の概念ってどんどん多様化していると思うのです。わたしが子供の頃、クローン牛がニュースで報道され、割とすぐに規制法ができた記憶があります。
昔は、誰か死んだらお墓に入れてお参りをする、という大変シンプルなものでしたが、今では寿命を意図的に伸ばすこと、末期患者の延命治療、これから進歩していくであろうトランスヒューマニズムなどなど技術的には命をデザインできるようになり始めています。
倫理的な問題で規制されていくものも出てくるかもしれません。

人間には生存本能があり、死は回避したいものである、というのは前提にあるとして、じゃあ脳にコンピューターを繋げないのはおかしいことなの?といえばそうではないと思います。

どういう状態なら生きたいか、どういう状態で死にたいか、一般論は置いておいて一度自分自身に問いかけてみる必要があると思います。「死なない方がいいに決まってる!」とか「今の自分からこのくらいかけ離れたらもう生を手放すべきだな」とか人それぞれの価値観があるのではないでしょうか。
そこで誰かに対して「こう思うのはおかしい」という考えはナンセンス、自分の進退については自分で決めたことが一番正しいに決まってるじゃん、というのはわたしの持論です。

よく見てよく聞いて、小さな決定や大きな決定を積み重ねて進んでいくのが人生、であり 生きているということだな・・とタナトフォビア歴の長いわたしはそんな風に思っていたりします。

自分にとっての「死にたくない」とは何か

死が怖い、という気持ちは誰しもが抱いたことがあると思います。しかし、一歩踏み込んで「死の何が怖いか」を明確にしようとすると結構難しいのです。
肉体を失う、意識を失う、若さを失う、五感を失う、死後どうなるのか知らないまま死ぬということ・・何に恐怖を感じるか、思いつくままざっと挙げてみましたが何か当てはまるものはありましたか?
これ本当びっくりするくらい人によって違います。死の前の痛みが怖いという人にもあったことがあります。

わたしは個人的には意識、も そうですが視力を失うのが怖いです。目が見えないというシチュエーションが恐怖で、射う学校で近視の再検査の紙をもらった時、失明したらどうしようって絶望したのを覚えています。

死にたくないの先にある、どうなりたくないかが明確になれば、不老不死について考えるときの糧になると思います。

近い将来選べると言われた時、どうすればいいのか

化学技術の進歩で、個人の希望が叶いやすくなっています。
先に書いたコールドスリープについても、大統領とか教祖じゃなくてもきちんとお金を払えば遺体を冷凍保管してもらえます。不老不死ではありませんが、体内にICチップを埋め込むことが実用化されている国もあります。

今以上に個人の判断に委ねられる時代がやってくる予感がしますよね。
自分がどうしたいのかを自分に問いかけて、内側に目を向けることで、自分が何を求めているかを知っておく必要があるな・・と感じているのです。