『死ぬのが怖い』は克服できる?そもそも克服って何?

      
『死ぬのが怖い』は克服できる?そもそも克服って何?

『いつか自分が必ず死んでしまう』という事実が受け入れられない、怖い、と感じる人は、全体のおよそ30%と言われています。
いやもうちょっといるだろ、わたし聞かれてないんだが。と思います。

死恐怖症とは?

自分の死が怖くて日常生活に支障をきたしてしまう状態を、死恐怖症『タナトフォビア』と言います。
混同しやすいのが、自分以外の『他人の死』にも恐怖を感じる状態『ネクロフォビア』です。ネクロフォビアの場合、例えば人が死ぬ映画を観て、発作的な恐怖心に襲われてしまったり、身内の死を想像していてもたってもいられなくなってしまったり・・というのが一般的な症状です。

しかし『自分の死』恐怖症であるタナトフォビアの場合、自分の死、つまり自分の消滅に底知れない恐怖心を感じてしまう。さらには悩みすぎて普段の生活にまで心の翳りが食い込んでくる、という症状のことを指します。
子供の頃、自分がいつか死んでしまうことを怖く感じ、家族に「みんな死んじゃうの?」みたいなことを聞いたことがある人って結構いると思います。
その不安感が、ずっっっと続いているような感じを想像してもらえれば、それがタナトフォビアです。

タナトフォビアは病気?

日常生活に支障が出る、命に関わる状態は、肉体でも精神でも一般的に『病気』であると考えられます。
例えば、白血”病”。血液の病気ですね。
では、高所恐怖”症”。不安症の分類ですが、直接的に死の原因にはなりません。高所を避けるとか、『克服』するとか対処法があります。
最後に、虚言”癖”。癖ですね。『思考の癖』になってしまっている状態に名付けられている傾向が強いように感じます。

素人であるわたしの分類ですが、いわゆる『尋常じゃない』状態って、この『病』『症』『癖』の3段階に分けられると思うんです。

ではタナトフォビアは、どの段階か?といえば、個人の『死怖い度』に準じて変わってくるんじゃないかと思います。例えば、死が怖すぎて実際にやつれて、体を壊す人もいます。『病は気から』という言葉がありますが、死も同じなんじゃと思うほど。
しかし、中間的なタナトフォビアの人というのは『症』と『癖』の間を、精神状態に左右されながら彷徨っている状態だと思うんです。
わたしがそうだから言ってるところもあるんですが、どうでしょうか。

不安症の治療といえば『暴露療法』?

タナトフォビアの位置付けについて考えてみたわけですが、もしあなたが「死が怖い」と言って病院に行けば、死恐怖症として不安症の治療を受ける流れになります。そこで、不安症の治療法として有名なのが『暴露療法』。つまり、恐怖の対象に触れまくることで『慣れる』=『克服』を目的にした治療法です。
タナトフォビアの場合、死に触れまくるということになりますね。人が死ぬ映画を観たり、人の死に関わる機会を積極的に作ることになりますが・・

実際にタナトフォビアの要素のある人であれば、ここで「?」となるはずです。他人がバタバタ死んでいくところを見て、恐怖が煽られることはあっても、死ぬのが怖くなくなるわけないですよね。
「みんな死んでんな、じゃ、いっか」「はいはい、これが『死』ね。おっけーおっけー」とこうなれるなら、そもそも普通に生きていて遭遇する『死』によって、とっくに克服できているはずです。

それができないから困ってるわけですね。表面ではなく、もっと死の恐怖の根源を探っていく必要があるわけですよ。

そもそも『死』の何が怖いか

死ぬのが怖い、と頭の中で口癖のようになっていると、次第に「何が怖いんだっけ」と基本がわからなくなりがちです。『死の何が怖いか』というのは、人によって様々で、タナトフォビアになった原因によっても異なります。

  • 死に至る時の身体の痛みが怖い
  • 死んで大事な人に会えなくなるのが怖い
  • やりたいことができなくなるのが怖い
  • 死んだらどうなるかわからないのが怖い

例えばこんな感じです。当てはまるものはありましたか?
この痛いのが怖い、という人についてですが「じゃあ、無痛ならいつ死んでもいいの?」と聞くと、快諾派とやっぱり怖い派に分かれます。

死ぬと大事な人に会えなくなる、やりたいことができなくなる、という恐怖についても、正直『わからない』ですよね。もしかしたら会えるかもしれない、できるかもしれない。でも、何も無くなるかもしれない。
『わからない』んですよ。歴代のものすごく偉い人も「わからない」って言っています。タナトフォビアの私たちは『死』というわからないものを怖い、と言っているのです。
拠り所なんてなくて当たり前なのです。恐怖の対象さえ、全てがわかっているわけでなないんですから。

生きながら『死を受け入れる』ことはできる?

それでも日頃から恐怖心を抱えている人は「タナトフォビアを克服したい」「死に振り回されず、楽しく生活したい」と思いながら生きているはずです。
タナトフォビアを克服するのは、死後どうなるかが解明されないと不可能でしょうか。現時点では完全な真相解明は期待できないとして、では、宗教を信じれば解決する?宗教が嘘くさければ、死について研究する側にまわる?
これについてですが、きっと宗教家にも物理学者にもタナトフォビアの人はいるでしょう。外的な要因を頼りに、タナトフォビアを克服するのは難しいのではないかと思います。『詳しいから』とか『信じているから』という理由では、自分がいつか死ぬことへの恐怖を取り去るには弱すぎます。

そもそも『タナトフォビアの克服』とは、最終的にどういう状態になることを目指しているのかという、認識についても語らないわけにはいきません。

タナトフォビアじゃない=死が怖くない=いつでもポンと死ねる精神状態?

過激派組織みたいですよね。「はい、今死んでもいいですよ」と言えることが正常だとしたら、世界中のみんながタナトフォビアを克服しなければならなくなってしまいます。

『わからない』を受け入れる

タナトフォビア克服の第一歩として『わからない恐怖』と向き合うことが必要だと思います。死んだらどうなるかわからない。火を操り電気を操り、数々の難病も克服し、高度なAIが開発されて、人は宇宙旅行にも行こうとしているのに、その全員が向かっている『死』の全貌だけが、ぽっかりと闇の中。考えてみたら、相当不思議な状態であると言えます。
死んだらどうなるかわからない。わからないから怖い。わからないということをわかることが、まずは自分の恐怖と冷静に向き合うための第一歩でしょう。

『死が怖い』を受け入れる

そもそも生き物が死を避けるのは当然です。スーパーで売っているドジョウだって、捕まえようとすると危険を察知して逃げていきます。ドジョウが死の恐怖から逃げているわけではないとしても、生き物はみんな、色々都合があって生きているのですから、いきなり死にたくないに決まっているのです。
ミミズだってオケラだってアメンボだって、みんな少なからず「死にたくねえなあ」と思いながら生きているということを、まずは心に留めておきましょう。

すると「死ぬのが怖い」=「どうしよう!」ではなく
「死ぬのが怖い」=「怖いなあ」と恐怖を認めることができるようになります。
怖いのは、間違っていない。わからないのは辛い。パニックになりそうになったら、まずはこうして自分の感情を認めることを意識してみるのがおすすめです。

たびたび繰り返していると、少しずつ心境が変わってきます。
どう変わる?とは具体的に説明しにくいテーマなので、また次回。