思考を飼い慣らせるようになれば、タナトフォビアが治る?

      
思考を飼い慣らせるようになれば、タナトフォビアが治る?

 

タナトフォビア(死恐怖症)というのは、飲み込まれてしまうとかなり絶望的です。

恐怖の対象が「生き物が必ず最後に通る道」ですから回避することができません。

高所恐怖症なので高い所には行かない、暗所恐怖症なので電気は消さない、というように死恐怖症なので不死身、というわけにはいきません。

さらに「死」というのは、この世に生きるわたしたちにとっては「最後の瞬間」です。

というわけで、嫌なことは先にさっさと済ましちゃおう!ということも叶いません。

タナトフォビアであり続ける限り、最後の瞬間まで恐怖心は消えないのです。

 

 

そうはいってもどんな人でも「最後の瞬間」までは、生きていくことになります。

実はタナトフォビアに心を支配されるというのは、生きることそのものを支配されるのと同じことです。

 

「死」に恐怖を感じているから、生きている状態である「人生」を尊んで大切に過ごしていきたい・・

頭ではわかっていても、死の恐怖のせいで心の底から楽しんで生きられない。

このジレンマが、タナトフォビアの人間をふとした時に絶望させます。

 

結局自分が望む状態で生きるためには、タナトフォビアを克服する以外に方法はないのです。

 

 

20年来のタナトフォビアであるわたしには、自分の為に自分で作り出した「不安や恐怖を別の形にする方法」があります。

そのOSUなりの方法が、精神療法で実際に恐怖症に取り入れられている「認知行動療法」と、とてもよく似ている(途中まではほぼ一緒)ということを、オスブログを作るうちに知り、今までいくつかの記事を書いてきました。

ここでは、OSUが幼少の頃からのタナトフォビアと共存するために生み出した、「不安や恐怖を別の形にする」OSUなりの方法について書いていきたいと思います。

 

「認知行動療法」については、ここでは詳しい説明を省略しますが、別の記事で説明しています。

読んでからの方が比較できて、きっとわかりやすいと思います。

 

↓↓ 認知行動療法の最初の一歩である「思考と感情を分ける」ことについて

タナトフォビアで心が折れない思考法を身につけよう!

 

↓↓ 実際に医療として「認知行動療法」を受けた場合の流れを調べました。

恐怖症の治療法■プロの手で行われる認知行動療法の流れ

 

 

 

「OSUなりの方法」って分かりづらいので、「OSUNARI」って名前にしようと思います。

すごい・・イケてると思います・・

 

「OSURARI」の大まかな流れ

  1. 思考と感情を分ける
  2. 自分の感情に興味を持つ
  3. 思考のゆがみをその時しか感じられないものと捉える(思うことができるようになる)
  4. 思考のゆがみをアウトプットする

 

急にタナトフォビアと関係なくなってる・・と思うかもしれません。

ですが「思考回路が作り出すのものが恐怖」であるという事実、これはどうしても切り離せるものではありません。

 

「思考のゆがみ」なるもののせいで特定のものに不安や恐怖を感じすぎてしまいます。

 

思考のゆがみ =「その人の考え方のクセ」ということです。

勝手にとっさに浮かぶ考えのことを「自動思考」と呼びます。

これが現実とは悪い方に考えすぎてしまっていたり、偏りすぎてしまっていると思考がゆがんでいる状態になってしまいます。

 

通常の認知行動療法では、この「思考のゆがみ」に自主的に気づき、考え方を自分で修正していくトレーニングを日常生活に取り入れていきます。

 

 

しかしわたしの方法、OSURARI(照)の場合は この「思考のゆがみ」を個人の感性として捉えます。

もちろん思考のゆがみというのは、恐怖心や不安感の餌になりますから、本当は歓迎できるものではありません。

ですが「これが自分特有の考え方なのだ」と認め、さらにそれを「人に見える形に仕上げてアウトプットする」ことで、思考のゆがみはそのままに、感情を整理することができます。

そしてそれを繰り返すうちに、恐怖心自体に恐怖しなくなり、タナトフォビア克服について自分にとって一番いい方法を冷静に考えることができるようになります。

 

恐怖を整理して俯瞰で見る訓練をすることで、タナトフォビアと向き合う土台がつくられるということです。

 

OSURARIの場合、思考のゆがみを打ち消す必要はありません。

 

タナトフォビアで苦しむときは、非常に孤独です。

自分に何の価値もないような虚無感が襲ってくるときもあります。

しかし、死を恐れているからこそ、「生きている今思ったこと」は全て唯一のもので尊いと感じます。

タナトフォビアであるから、この価値がわかります。

これを何かみえる形にしたいと思うのは、OSUにとっては自然なことでした。

 

散々使ってきた、思考の「ゆがみ」という表現ですが、実は認知行動療法について調べた際に拾ってきたワードであり、とても明確な説明だなと思う一方で、OSUには当てはまりません。

生まれてから今までのすべての時間があったから行きついた考えを、恐怖を増長するゆがみであると括る気になれないのです。

 

OSURARIの場合、思考のゆがみこそが生きた証だと判断します。

ですが、ゆがみを抱えているだけでは、それはやはり恐怖でしかありません。

 

思考と感情を完全に分けて、胸におさめられるようになること

自分の感情を客観視して、興味を持てるようになること

思考のゆがみを、第三者が見れる形にアウトプットできるようになること

そして同じような過程で作られたものに気付き、インプットできるようになること

 

詳しく書きすぎるとあまりに長くなってしまうし、短く端折ってまとめても中途半端な内容になってしまうと思います。

なので抽象的な表現ばかりになってしまって申し訳ないのですが、これを繰り返すことで次第に「恐怖心」よりも「恐怖の対象」について正面から向き合って考えることができるようになってきます。

 

OSUはそうやって、タナトフォビアからくる様々な恐怖と今まで共存してきました。

そして現在、このブログを作っていよいよ「タナトフォビア本体」と向き合っていくことになります。

 

「いつか必ず死ぬ」ということについては、小学生の頃の「それに初めて気づいてしまった時のトラウマ」がかなり深く残っていて、OSUNARIに持ち込めていない状態でした。

 

ですが、10年以上この方法で思考のゆがみを飼ってきて、たくさんの作品を作ってきて(OSUは絵描きです!)発表してきて、タナトフォビア本体に向き合う自信が充分につきました。

 

同じようにタナトフォビアに生きることを支配されてしまっている人に、OSUがタナトフォビアそのものを克服する様を是非見ていただきたいのです。