タナトフォビア克服のために まずはじめにすべきこと

      
タナトフォビア克服のために まずはじめにすべきこと

タナトフォビア(死恐怖症)について、2~3年前は ほとんどネットにも情報がなかったのですが、最近ブログなどでも見かけるようになりました。

やっぱりSNSが普及して意見や思考を発信しやすくなったから、自然とそういう話題も増えてきた感がありますね。

仏教とか心理学とかいろいろとベースを変えて、タナトフォビアが語られています。

自分が子供の頃ひとり悶々としてた頃に比べ、時代は変わったな・・!という感じです。

しかしタナトフォビアに関する情報が増えてきた今こそ、「克服といっても まずなにからすればいいのか分からない」っていう人が結構いるんじゃないかな・・と思うのです。

そういう人たちのために、ガチタナトのわたしが今日は書いてみようと思います!

 

 

恐怖の種類について

 

怖い、ってひとことに言っても種類がありますよね。

包丁が危なくてちょっとヒヤッとするくらいとか、苦手な人が怖い、場所が怖い、物が怖い、経験が怖い・・

その対象によって「怖い」の感じ方は、すごく幅広いです。

 

度合いはあっても、人間が恐怖を感じているときは「興奮状態」で、決してニュートラルな心の状態ではないよ、ということを まず確認しておきましょう。

多少なりテンパっている、いうことですね。

 

では例えば「何かものすごく怖いもの」を見てしまって、視覚から恐怖を感じたとしましょう。

その場合、「何かものすごく怖いもの」からすぐに離れれば、落ち着くことができます。

後から「何かものすごく怖いもの」について誰かに話して共感を得るのもありですよね。

 

「何かめっちゃ怖かった!!」

 

そうしているうちに、客観的になってきます。

あとから冷静になれれば「その時の自分の恐怖」について分析したり、払拭したりできます。

ちなみにわたしは「何かものすごく怖いもの」をずっとワニのつもりで書いていたので、このままワニのつもりでいきますね・・!

 

「ワニ」は目に見える、その場から逃げることができる恐怖の対象でした。

ではタナトフォビアはどうでしょう。

 

 

物理的に逃げられる恐怖と逃げられない恐怖

 

ワニとタナトフォビアって全然違いますよね。同じ恐怖の対象なのに、です。

「死ぬのが怖い!」と思った時に、その場所から離れたとしても死の恐怖から逃れることはできません。

 

時間が経てば、思い詰める時間が減ることはあります。

実際にタナトフォビアは、忙しく暮らしているときには比較的発生しにくいものなのです。

しかし、一度でも強く死に対して恐怖を感じてしまったら、一度体験した恐怖を完全になくしてしまうことは大変難しいことです。

その理由はたったひとつ「自分がいつか死ぬこと」そのものからは決して逃れることはできないからです。

 

自分はいつか必ず死ぬからなのです。

では、タナトフォビアはずっといるワニ? 逃れられない恐怖として、諦めるしかないのでしょうか。
冒頭にも書いたように「恐怖を感じている状態」というのは冷静な精神状態ではありません。
では、その動揺した状態で、死ぬ間際まで「死」を怖がり続けなければならないのでしょうか・・?

タナトフォビアに完全に負けると、人生そのものが雑になります。

すると、死ぬのが怖いと言いながら、かろうじて生きていられる貴重な時間までを棒に振ることになります。

タナトフォビアに負けた自分のことを嫌いになり、せっかくの人生を台無しにしないために、タナトフォビアであるからこそ、死の恐怖と向き合い続けることは必要なことなのです。

逃げられない恐怖と向き合う前に

 

では、物理的に逃れられない恐怖と どうやって向き合うのか?

「死に強い恐怖を感じた」という状態のまま、ただ考え続けても堂々巡り、冷静ではないからです。

最悪、精神を病んでしまう恐れがあります。

まず、タナトフォビア克服を目指すために一番最初にすべきなのは「自分とは違う価値観(死生観)をたくさんインプットすること」だと思います。

自分では思いつかない 死についての価値観をどんどん吸収することで、いざ 自分の頭で死について考えるときに、インプットした材料が たくさんある状態で思考をスタートできます。

死が怖い!という状態で、死についての様々な考え方をインプットするのは恐ろしい・・という人もいると思います。確かに、なるべく考えたくなくて悩んで

いるわけですから、酷な作業に感じるかもしれません。

そうなんですが、「前向きなインプット」にしても、「悲観的なタナトフォビア症状」にしても、どちらにしろ自分の死のことで頭がいっぱいであることには なんら変わりがないのですよね。

むしろ「死 恐怖」でググってしまうくらいには、外的刺激を求めているはずです。

死を扱った本や映画、作品は世の中にあふれています。

「死ぬのが怖い」を話題にすることは一般的でなくても、様々な死の価値観を伝える作品は一般的に存在します。

どちらにせよ死のことで頭がいっぱいになってしまうのであれば、ちょっと意識してみてはどうでしょう。

・どうせなら克服のために新しい死の価値観をインプットする

・死の価値観の知識のバリエーションを豊かにする

これがタナトフォビア克服、つまり自分の頭で死を考える前に、まずするべきことだと思います。

ソクラテスは急に何を言い出すんだ

具体的にわたしの最近のインプットについて書いてみます。

最近読んだ本に、ソクラテスの言葉が ちらっと載っていました。。

結構とっつきにくい文章だったのですが、内容的には死後が無なのか無ではないのかを哲学的に考えるというものでした。

「もし死が無じゃないならめっちゃ最高。死んだ後も色々続くなら、先に死んだあの人とかあの人とか超偉大な哲学者と喋れるって事じゃん。ワクワクが止まらねえ」

と、死後が有であればソクラテスは こんな風に思うとのことでした。

この ご先祖様と会える、という価値観は考え方は一般的っぽいですよね。小さい子供にも通じます。

さて、では死後が無だとしたらソクラテスはどう考えるか

ちなみにタナトフォビアの自分にとって死後の「無」というのは「これ以上ない底なしの恐怖」であり、何としても否定したいものでした。

「死が無だったらそれはそれで最高。無ってことは生きてるうちに感じるどんな恐怖よりも短いじゃん。いわば安息じゃん」

ほ?どゆことどゆこと?

死イコール安息である、という表現はよく見かけます。

しかしソクラテスが目を付けたのは「恐怖を感じている時間」です。

もし死後が無だとしたら、実際の死の瞬間に恐怖を感じる時間は ほんの一瞬であるということです。

うん、まあ、確かに・・

しっくりこないのも当然、「いつかくる”死ぬ”というシチュエーションそのものを怖がっている期間」が長すぎると、この考え方には行き着きません。

病に伏して、ジワジワ死にかけていく時間も恐怖の時間にカウントしてよ、って。

参考に、とか同じ考え方を、ということではなくて、ソクラテス・・死の恐怖 乗り越えてるな・・と感じた話でした。

死の瞬間の恐怖の時間・・直後には「虚無」ですから、恐怖を感じる時間はワニと出くわすより短いですよね。

いや、そうなんですけどね・・うん・・まあ、とりあえず「死の価値観庫」に貯蔵することにします。

いつ必要になるか わからないですから・・・

向き合う前に まず武装しよう

「頭では考えればわかること」と「実際に頭にある考え」は違います。

宗教によっては「無(死)」を「救い」と捉えることもあります。

ではその宗派の人々全員が「あーそっか、そっか!死は救いか!じゃあ全然怖くねえや!」とはなっていないはずです。

逃れられない恐怖と向き合うために、みんな長い時間をかけて、なにを信じるか自分で決めていきます。

たくさんの死の価値観をひとまず蓄えておけば、もし次に「自分の死について考えてしまうとき」自分の頭では思いつかなかった材料として、前向きに働いてくれるのです。

これを繰り返して繰り返して、やっと自分のタナトフォビアに正面から向き合える状態を、自分で作り出していくのです。


\2019/7/13〜7/15 OSUが原宿にて個展します/

CTA-IMAGE スズキ アユミ 個展「まつげをつまむのさ」
2019年7月13日(土)〜2019年7月15日(月祝)
OPEN 11 : 00〜20 : 00

※最終日は19時頃までの展示です。

デザイン・フェスタ・ギャラリー 原宿
WEST 1-D ( DESIGN FESTA GALLERY WEST 1-D )

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前 3-20-18

入場無料

3日間、全日程在廊するので、ぜひ遊びにきてください!
お話ししましょう〜(^^)
DMを持ってご来場の方にプレゼントをご用意しております・・・(^^)!
※なくなり次第終了とさせていただきます・・。

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いつか必ず死ななければならないということに気付いたのは、8歳くらいのことでした。
自分が永遠に消えるかもしれなくて、実際に死んでみるまで意識が消滅するかどうか誰にもわからない。
寝ながら思い詰めていると、口から心臓を吐いてしまいそうになります。

なんとかしなければならないと思いました。
死んでしまうことではなく、死んでしまう自分のことを何とかしなくてはなりません。
生きているあいだに、死んでしまうことについて納得しなければなりません。
わたしは自分を励ますために、怖いや悲しいをできるだけ明るく描き残そうと思いました。
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