自殺は悪いことか?‐自分を殺すとなにが起きるか‐

      
自殺は悪いことか?‐自分を殺すとなにが起きるか‐

 

オスブログではタナトフォビア(死恐怖症)について掘り下げた記事が多いのですが・・

実はタナトフォビアの記事よりも、自殺に関するたった一つの記事へのアクセスの方が圧倒的に多いのです・・!

 

わたしはタナトフォビアなので、「死にたい」と考える人と気持ちを共有することができません。

しかし「死にたい」「死にたくない」という真逆の思いの根源が、実は同じなのではないか・・と思ったことから自殺についていろいろ考えるようになり、出来た記事です。

日本では毎日100人自殺している-死にたいは死にたくない

 

 

「1日100人の自殺者」というやたらキャッチーなタイトルは決して誇張ではないのです。

現在も平均100人の自殺者が毎日いて、しかもそれは増加傾向にあります。

大きく報道されませんが、必ずといって良いほど毎日 中高生の自殺は新聞記事に見られます。

 

 

単なる願望ではなく実際に死んでしまう人たち

 

実際に自殺に踏み切ってしまう人というのは、周囲とのコミュニケーションをだんだんと取らなくなってゆくものなのだそうです。

自殺未遂者のインタビューやたくさんみましたが、実行に移してしまう人の共通点だと思いました。

周囲に相談したり救済を求めるコミュニケーションが取れない。

そもそもそんな余裕がなく、人に頼るという選択肢すら浮かばない

 

選択肢どころか「死ぬしかない」という極端に視野の狭くなった状態で、自殺実行当時の自分は思考が崩壊していたと振り返っている人が大多数でした。

 

 

自傷と自殺は必ずしも延長線上あるわけではない

 

自傷行為自殺行為は似たようなものだと思われがちです

実際はそうではなく、自殺してしまう人が前触れとして自傷行為をするとは限らないし、自傷行為をする人が自殺するつもりとも限らないのです。

 

自傷行為をする人の心情

  • 生きることにまだ希望を持っている状態
  • 「事態を改善させたい」「助けてほしい」という望みが他人にも分かるような行動となって表れる

 

自殺をする人(自殺企図も)の心情

  • 感情の救済は諦めており、「痛みからの解放」「意識が永久に無くなること」が目的
  • この目的のためには「死ぬ以外選択肢がない」という状態

 

 

世界保健機関(WHO)の自殺予防に関する特別専門家会議によれば、

自殺は、そのほとんどが防ぐことのできる社会的な問題。適切な防止策を打てば自殺が防止できる

のだそうです。

確かにね・・何の不満もなくただ死にたがる人はいないでしょう。

防ぐことができると言われているのにもかかわらず、日本の自殺者は減るどころか増え続けています。

 

 

 

自殺者を減らすことに成功した国

 

日本とは対照的に、自殺者を減らす取り組みが成功している国もあります。

オーストリアやフィンランドでは自殺の報道のしかたを変えることをはじめとする様々な対策の結果、自殺率を下げることに成功しています。

 

WHOが2000年に発表した「自殺を予防する自殺事例報道の在り方」に具体的な方法が提示されています。

  • 写真や遺書を公表しない
  • 自殺の詳しい内容や方法を報道しない
  • 自殺に代わる手段を強調する
  • ヘルプラインや各地域の支援機関を紹介する

 

自殺から気持ちを遠ざけさせるために、別の選択肢を提示して視野を広げられるような報道を心がけること。

普段なんとなく垂れ流していたであろうニュースの内容を改めるだけで、非常に高い効果があったようです。

 

テレビの内容を変えただけでも思いとどまれる人がいるということは、どういうことなのでしょう?

自殺しようと切羽詰まっている人の精神状態が、どれほど異常事態なのか想像できます。

 

 

以前までは自殺者の多い国の一つであったスイスでは、現在自殺は減少傾向にあります。

スイスは1991年から2011年までの10年間で自殺者の数を半分にまで抑えることに成功しています。

このスイスでの自殺者減少の理由は、まさに日本が自殺大国になってしまっている理由のひとつに踏み込むものでした。

 

 

「精神疾患」を無視してはいけない

 

つい近年までスイスでは、精神病の存在がタブー視されていたようです。

タブー視・・というとなんだか具体的ではありませんが、日本人が生きる社会も似たような傾向はあります。

タブーというのは例えば、「うつは甘え」「身内に精神病患者がいるなんて恥ずかしい」など、精神疾患そのものと、それを患っている人から目を背けるということです。

つまり、傷ついている人の存在そのものを無視するということです。

前時代的な考えは捨てて、誰でも心を病む可能性はあるということを承知しておくことが大切です。

心を病んだ ⇒ 誰にも言えない ⇒ 今まで通りの生活には戻れない ⇒ 死ぬしかない

 

社会全体が精神病患者を排除する雰囲気であれば、このような考え方になってもおかしくありません。

 

スイスでは、時代と共に徐々にメンタルケアの認知が広まり、患者が助けを求めやすくなりました。

結果的にきちんとした治療を堂々と受けられるようになったことが、自殺者減少の一番の理由なのだそうです。

 

たとえ心を病んだとしても、選択肢が増えたことで視野が広がり、自殺以外の希望を見いだせるようになったのだと思います。

 

 

 

スイスつながり、選択肢の話題としてもうひとつ。

スイスでは自殺幇助が認められています。

安楽死OK、ということなのですが、日本では想像もつかないことです。

 

金銭を受け取るなど、利益を得るようなことがない限りは幇助しても罪には問われません。

なんとスイスには、自殺幇助専門の非営利団体も存在するのです。

 

この法律は医者にも有効で、末期患者の望みが死であれば医者は協力をします。

そこで、末期患者の外国人が大勢スイスの病院で治療を受けようとするため、社会問題化しているのですが・・

それでも自殺幇助を認める法律は国民に圧倒的な支持を得ています。

うん・・根本的に「自殺」をどう捉えるか、もう一度考えてみたいと思います。

 

 

自殺=悪 という価値観

 

自殺、と聞けば皆 眉をひそめます。

人間はいつか必ず死にますが、この国では自分の意志で死のタイミングを決めることは許されていない・・というか、まったく歓迎されていません。

そんな価値観の元に生きてきた日本人にとっては、自殺幇助OKというシステムは衝撃的です。

 

他人を殺すことは殺人で重罪です。

では自分を殺すことは本当に悪いことなのでしょうか?

 

わたしは新宿に住んでいます。

人身事故による電車の遅延をよく経験します。

歩道橋での焼身自殺が原因で、交通規制がされた時もありました。

 

そんな時に周囲の会話から聞こえる言葉で代表的なものが

「死ぬのにわざわざ人に迷惑かけんなよ・・」

という感じの意味のものです。

 

都心に住み始めた当初は「ほんとに口に出しちゃう人いるんか・・」と驚愕しました。

ああここは東京砂漠なんだ・・と実感もしました・・が。

徐々に本心で迷惑に思っている人はあまりいないことも読み取れるようになってきました。

 

実際この「迷惑」を含んだ台詞は、突然遭遇してしまった自殺という重苦しい事態をいったんバウンドさせて、なんとか自分の心にマイルドに着地させようとするための防御だと思います。

 

通常亡くならない場で人が死ぬわけですから、手続きや諸々の片付けなど大勢の人が動くことになります。

実際に自殺者の側からも「ご迷惑をおかけします」という文の遺書を報道で見ることもあります。

 

この風潮からみて、自殺=迷惑=悪 

生きながら迷惑をかけ続ける人だっているんじゃないの?

自殺はなぜいけない?という問いに即答できる人になりたいのに・・・

 

 

 

自殺後、自殺者の周囲で何が起きる?

 

1人自殺するごとに、少なくとも平均6人の人が心理的にかなり深刻な影響を受けるという調査結果があるようです。

自殺者の家族、自殺者に過去かかわったことのある人達、偶然だったり業務上自殺後の対応に関わった人達が対象です。

6人というのは最低人数で、もし学校や職場など規模の大きい場所で起きた場合、少なくとも数百人の人間心理に影響が及びます。

 

もちろん、個人の感受性の強さや性格にもよると思います。

しかし、周囲で自殺が起きたことが原因で うつ病、不安障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などの深刻な症状に陥ってしまう人もいるのです。

 

もし自殺者が社会的に影響の強い人物である場合、遺された人 自身が自殺の危険を伴う事すらあります。

俗に言う「後追い」という現象で、例えばミュージシャンやアイドルの自殺後にファンが自殺するようなことです。

 

特に身近だった人間は多大な罪責感にさいなまれて、鬱状態が長期的に続きます。

 

「自分が死んでもどうせ誰も悲しまない」

「自分が死んだほうが事態が好転する」

自殺志願者はこの思考を通過して、自殺者になります。

本当に正しいでしょうか?

 

たとえ自殺でなくても人が死ねば周囲の人間は神妙な気持ちになります。

自殺が起こったらその場をきれいに片づけて、はい、終わりというようなものではありません。

人間は自分たちで思っている以上に、人の死に対しては敏感で影響を受けやすいものです。

 

「世の中」というのは、その土地のことではなく、そこに住む人たちのことです。

自殺が一件起きることによって、その人がいた世の中全体を暗くすることになります。

 

自殺が罪なのかどうかをジャッジする以前に

「自分が死んだ方がみんな幸せだ」

という自殺企図の段階の思考は、冷静なものではなく絶対に間違っています。

 

 

 

自殺と仏教

 

国によって自殺への価値観が変わることを書きましたが、宗教によって自殺の捉え方は変わるのでしょうか?

 

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教では古くから自殺は宗教的に禁止されています。

実は、もともとは殉教者(宗教の教えの為に命を絶つ人)が増えすぎたことで禁止されたようです。

自殺は犯罪と考えられていて、自殺者の葬儀は行わない時代もあったようです。

現在でも、西洋では自殺は罪深いことであるという考え方が一般的です。

 

では仏教は?

自殺を原則タブーとしてはいますが、絶対否定もしていません。

 

どういうことかというと、例えば仏教には捨身(しゃしん)という言葉があります。

修行者が他の命を救ったり、供養をするために自分の命を投げ打つことを言います。

そしてこれは最高の布施であるとして高く評価されます。

 

 

さらに、武士が名誉を守るため切腹で死ぬこと、戦時中 敵に打ち取られる前に自決すること

どちらも違う時代のことですが、日本で起きており、珍しくありませんでした。

「自殺」「自死」このふたつは似て全く非なるものです。

 

「自死」に共通するのは、意識を永遠に消滅させたいという目的ではなく、自分の命を抹殺してしまうことで、汚いと自分の思っていることをしないという、自殺そのものを文化のひとつとして捉える価値観です。

 

 

仏教における自殺は、どんな亡くなり方であろうと「死」は「死」であり、お釈迦さまはその顛末は問わない、という考え方です。

 

自殺について思うこと

 

わたしは、つまり「悪いこと」と「悲しいこと」は分けて考えるべきなのではないかと思いました。

 

わたしが小さいころに親たちから聞かされたのは、自殺した人は天国には行けずに寒い河原で小石を積み続ける罰を受けるとか、永遠に何もない暗闇で一人で過ごさなければならない、という言い伝えでした。

親もさらに親から聞いたのか、それか年末のたけしのテレビか何かで言っていたのかもしれません。

これは自殺することによって周囲を悲しませることへの罰という意味で伝えられているのかな、と思います。

 

 

 

自殺者の精神的な余裕のなさ、視野の狭くなった状態を知れば、自殺した人というのは自分に殺された被害者ではないでしょうか。

それが、今でも時代劇などで感動的に演出されている自死と自殺の大きな違いです。

 

 

自殺者の心境を知ることはできませんが、自分の人生の最後を、世の中(周囲の人たち)を暗くすることに使うのは、自分の命に価値を感じられない。自分を軽く見て貶めているとも取れてしまいます。

周囲の人が自殺を知った時に悲しく、やりきれない気持ちになる理由でもあります。

 

 

結局、「自殺」という行為のどこかに善悪を見出すとすれば、どこでしょう?

自殺をする直前に、自殺者が自分自身にむける悪意は、何より絶望的なのだろうなという想像くらいです。

 

あとタナトフォビア(死恐怖症)の人間としてどうしても結びに書いておきたいのが、いくら振り払ってもしがみ付いても、必ず死ぬときは来て、その時は必ず死ぬという事実です。


\2019/7/13〜7/15 OSUが原宿にて個展します/

CTA-IMAGE スズキ アユミ 個展「まつげをつまむのさ」
2019年7月13日(土)〜2019年7月15日(月祝)
OPEN 11 : 00〜20 : 00

※最終日は19時頃までの展示です。

デザイン・フェスタ・ギャラリー 原宿
WEST 1-D ( DESIGN FESTA GALLERY WEST 1-D )

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前 3-20-18

入場無料

3日間、全日程在廊するので、ぜひ遊びにきてください!
お話ししましょう〜(^^)
DMを持ってご来場の方にプレゼントをご用意しております・・・(^^)!
※なくなり次第終了とさせていただきます・・。

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いつか必ず死ななければならないということに気付いたのは、8歳くらいのことでした。
自分が永遠に消えるかもしれなくて、実際に死んでみるまで意識が消滅するかどうか誰にもわからない。
寝ながら思い詰めていると、口から心臓を吐いてしまいそうになります。

なんとかしなければならないと思いました。
死んでしまうことではなく、死んでしまう自分のことを何とかしなくてはなりません。
生きているあいだに、死んでしまうことについて納得しなければなりません。
わたしは自分を励ますために、怖いや悲しいをできるだけ明るく描き残そうと思いました。
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