死後の世界を信じられればタナトフォビア(死恐怖症)って治る?

      
死後の世界を信じられればタナトフォビア(死恐怖症)って治る?

「どうすれば死後の世界を信じられるようになりますか?」

この質問についてどんなふうに感じるでしょうか(^^)?

わたしはタナトフォビアの克服について自分が思うことをつぶやくことと、情報交換が目的のTwitterアカウント(@shinitakunetion)を持っています。

タナトフォビアについての共感、励まし、相談のダイレクトメールをもらえることがありますが、やり取りすることそのものがわたしの大きな励みになっています。

その中でも結構たくさんの人が抱えているのが

「どうすれば死後の世界があると思えるだろうか」

という悩みです。

「どうすれば死ぬのが怖くなくなるだろうか?」

から一歩踏み込んでいて

つまり死後の世界の存在や、魂や自意識は絶対消滅しないんだ!という確信を持つことで、死の恐怖を無くしてタナトフォビアを克服したい、と苦しんでいる状況なのだと思います。

信じられるものが欲しいという心境、わたしもとても共感します。

タナトフォビアの人間が安心して生きるためには必要ですよね。

 

 死後の世界の確信(永遠の魂の確信) = タナトフォビアの克服?

子供の頃は、みんな大人から「死んだ人は天国に行く」と教えられてきたのではと思います。

雲の上から見てる、という変化球もありますが、我が家はこれでした。

 

当然ですがこれは、子供をいたずらに不安にさせないための言葉であって、大人になれば人が死後どうなるか知れるわけではありません。

 

自分を自分だと認識している自意識、自我が死んだ後もしかしたら残らないかもしれない。

死=消えること

かもしれないとなると、感受性の強い子供たちは間違いなく不安に憑りつかれてしまうでしょう。

 

しかし、これは感受性の強い大人たちにも もれなく当てはまります。

 

冒頭の悩みを抱えている方は、死を怖がらなくなるために、死は消滅ではないと思えるようになることが必要・・

そのためには「死後の世界」が信じられるようになること!が課題のようになってしまうのではと思います。

 

しかし、なるほど・・!

一見、死後の世界を信じることに囚われてしまっているようにも思いますが・・

確かにゲゲゲの鬼太郎的な死後の世界が誰にでも必ずある!と確信できるとしたら、今よりは死ぬの怖くなくなりますよね。

OSUはこのメッセージで、タナトフォビアを克服した状態、というのは人によってイメージがかなり異なることを知ったのでした。

 

タナトフォビアの克服ってどういう状態のこと?

ちなみにわたしの憧れる、目指している「タナトフォビアの克服」というのは、死後の世界を信じられるようになることではありません。

と偉そうに書きながら、今回初めて

「そういえば、克服ってつまりどういう精神状態だろう・・?」

と考えるきっかけをもらったわけなのですが・・

 

今回はタナトフォビアの克服とはそもそもどういう状態のことを指すのか、改めて考えてみたいと思います。

 ・あの世、不死を確実に信じられること(魂・意識は絶対に永遠にあると思えるようになること)

・死ぬのが怖いと思わなくなること(恐怖を完全になくす、極端に言えばいつでも死ねる心境)

 

タナトフォビアではない=死が全く怖くない

であれば、上記の状態にならなければなりません。

 

これって・・現実を生きながら、尚且つ自分を少しも騙さずに達成するのは結構難しいと思います。

 

死後の世界については、今 目に見えているものだけが存在するすべてではないと思っているので「あればいいな!」という気持ちではいます。

ですが「確信」するとなると話は別です。

確信できなければ信じることはできません。

話の又聞きで、死後について確信を持つことは難しいです。

 

例えば、実際に死後の世界の住人や永遠の魂が目の前に現れて、お前も最終的にこうなるから大丈夫だよ、と膝を突き合わせた状態ではっきり言われた後、がっしり握手でもしなければ・・・

 

  • あの世、不死を確実に信じられること(魂・意識は絶対に永遠にあると思えるようになること)
  • 死ぬのが怖いと思わなくなること(恐怖を完全になくす、極端に言えばいつでも死ねる心境)

 

キリスト教の一部の宗派では、死を魂の救済と捉えていて、生きているときには、死後に神のいる楽園に行くことを目指します。

最後の審判の後に永遠の魂を得るために、正しく生きようと相手の罪を許したり、懺悔をしたりします。

 

「魂の救済のために現世を生きれば、死は恐れるに足らない」

 

死刑囚が聖書に傾倒するようになるという話をよく聞きますが、死後の救済を信じることによって自分を慰めているんですよね。

宗教は学問だという人がいますが、本当にその通りだと思います。

死に囚われずに生きるための方法を、宗教から学ぶことができます。

 

実は、わたしが目指しているタナトフォビアの克服、というのはこの「魂の救済」と戦って勝つことにあります。

 

この世でやりたいこと、やるべきこと、現在生きているという状態

VS

魂の救済、死後を考えて生きること

 

このふたつをこころのなかで静かにバトらせ、現世を精一杯生きる側について、勝利します。

地味ですが、この勝負に自分の中で静かに、確実に勝つことが、わたしの目指すタナトフォビアの克服です。

 地味なうえにわかりにくいのですが、すっごく代弁してくれている本を見つけたので紹介しつついきますね。

 

日本人の気質で片付いた話

日本人の自害について調べていた時に読んだ本に、とても面白いことが書いてありました。

「自害」というのは生を苦にした自殺、というよりは戦士の自決とか武士の切腹のようないわゆる「立派な最期」といわれるような自死のことです。

 

本の著者は日本の自死について研究したフランス人の学者です。

超客観ですよね。

 

彼曰く

「西洋から東洋に移動するにつれて、現世を生きる価値観になっていく」

とのことでした。

 

ブログに書こう!と思って読んでいくと、

西洋地域の死生観は、現世は死後に神の元へ行くための試練の場所、あの世が主体の死生観です。

 

西洋から東にずれてインド仏教では、現世で苦んでいるとしたらそれは、前世の業(カルマ)が影響していて、もし現世で悪行をすればまた来世にも苦しむことになる。

この輪廻、から解脱するために現世では徳を積むという価値観です。

 

同じ仏教でも解脱を目指す感覚は中国仏教では薄れて、カースト制を重んじるインドほどではなくなり、日本ではほぼ消え去る概念であると書かれていました。

実は日本仏教では、中国から伝来したてのごくごく初期の段階から「生きてブッダになること」を説いています。

死後の救済ではなく、現世での解放のための教えが重要視されているのが日本の仏教です。

 

「この世に生きていること、それがそのままに涅槃である」

という日本仏教の祖師のひとりの言葉そのままに。

 

日本人には、「現世にこそ人間としての喜びがあって、善い行いをするのは紛れもなく『今』のため、人としての務めは現世にある」という仏教の伝来でも崩せなかった、もともとの「気質」があるというのです。

キリスト教では自殺は罪ですが、自死と遂げた日本人からしたら「今」の自分の名誉、プライド、誇りを守るために「今」自ら死を選ぶという思考です。

その気質こそが、江戸時代の武士による名誉の切腹であったり、太平洋戦争中の兵士による名誉の自決を生み出し、自死を文化にまでしたのだという結論でした。

 

これを読んで、自分の死の恐怖や 自分が本能的に好きだな、と思う価値観について腑に落ちました。

 

まず、自分を騙さなければ死後の世界での幸せを完全に信用出来ないこと。

聖書を読んだときも仏教聖典を読んだときも「こういう風に生きていこう!」と前向きな気持ちになりましたが、宗教で死後の不安を取り去るには「楽園は、あるんだあるんだあるんだ・・・」と自分に妄信させなければいけませんでした。

宗教に救われるよりも、教典は生きるためのHOW TO本だと思った方が、自分には合っていました。

 

あと、死の恐怖を、神様が助けてくれる!というような外的要因で取り去るということにも違和感を感じていて、自分のタナトフォビアの克服には繋がっていないと思うこともありました。

 

なんとなく好みの価値観じゃない・・・!

といったモヤモヤがなんと「日本人の気質」の一言で片付いてしまったのが結構さっぱりしました。

あっ、そっかー日本人だからかー!みたいな。

 

 

OSUはこうなりたい

 

最近思うのは、「死が怖い」というのは 今生きているという状態に意味を見出しているからこそ思うのであって、それ自体は決して忌むべき感情ではないということです。

 

「日本人の気質」というパワーワードを借りて

「現世にこそ人間としての喜びがあって、善い行いをするのは紛れもなく『今』のため、人としての務めは現世にある」

自然とこう思っているからこそ、それを失う死が怖いのは当然のことです。

 

現世をメインに生きているわけだから、現世を失うのが怖くて当然 というわけです。

そうなると死後の世界に思いを馳せようとしても、この前提に遮られて当たり前だったのかもしれません。

 

 そう、まさに大切なのは「今」

「今」の繰り返しが人生を作ります。

わたしたちが勝手に過去や未来について考えているだけで、実際は「今」の連続を体験し続けるのが人生です。

 

タナトフォビアは死後のことを恐ろしく考え過ぎるあまり「今」を霞ませてしまいます。

 

自害できるようになりたいというわけではありません。

あくまで自然に「死」よりも「今」に重きを置けるようになりたいです。

わたしはいつか、今生きているという状態に思いを集中できるようになりたいです。

 

すげー抽象的ですが・・わたし自身も、ふんわりとしか掴めていないので・・

 

「自分として生まれて現状を生きることが全て」だと本心から思えるようになれば、いつか死ぬことを怖いと思っていたとしても、タナトフォビアを乗り越えたといえると思っています。

死を恐れている時間も現状の一部、死は生きることの一部だといつか納得したいと思っています。

 

実際に目指すとなると難関ですが・・まず何すればいいのかわからないし。

それでも死後の世界を信じる努力をして死の恐怖を消し去ることよりは、わたしにとって現実的なハードルです。

 

ちなみに、もし実際に死ぬまでの時間でここまで覚悟することができたとして、実際に死んだときに死後の世界や自意識があったら、めちゃくちゃラッキーじゃないですか?

わたしは同時にそんな棚ぼたも狙いたいです。

 


\2019/7/13〜7/15 OSUが原宿にて個展します/

CTA-IMAGE スズキ アユミ 個展「まつげをつまむのさ」
2019年7月13日(土)〜2019年7月15日(月祝)
OPEN 11 : 00〜20 : 00

※最終日は19時頃までの展示です。

デザイン・フェスタ・ギャラリー 原宿
WEST 1-D ( DESIGN FESTA GALLERY WEST 1-D )

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前 3-20-18

入場無料

3日間、全日程在廊するので、ぜひ遊びにきてください!
お話ししましょう〜(^^)
DMを持ってご来場の方にプレゼントをご用意しております・・・(^^)!
※なくなり次第終了とさせていただきます・・。

------------------------------------
いつか必ず死ななければならないということに気付いたのは、8歳くらいのことでした。
自分が永遠に消えるかもしれなくて、実際に死んでみるまで意識が消滅するかどうか誰にもわからない。
寝ながら思い詰めていると、口から心臓を吐いてしまいそうになります。

なんとかしなければならないと思いました。
死んでしまうことではなく、死んでしまう自分のことを何とかしなくてはなりません。
生きているあいだに、死んでしまうことについて納得しなければなりません。
わたしは自分を励ますために、怖いや悲しいをできるだけ明るく描き残そうと思いました。
------------------------------------